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先週の出来事 出張と国盗りin宮崎 そして盛岡で被災 [雑感]

先週は、結構多忙だった。月、火と金曜日のミーティング用資料を作り、水、木と宮崎出張、金曜日は盛岡日帰り出張の予定だった。だったというのは今となっては誰もが日帰りでなくなった理由がわかるだろう。それはさておき...

宮崎は、3月9日時点では新燃岳の活動は小康状態だった。本来あまりいきたくないのだが、どうしても用事があって出張しなければならなかった。ただ、突然のキャンセルは困るので鹿児島空港経由で。行きは、宮崎駅行きの高速バスに乗る。宮崎まで2時間ぐらいだ。途中、霧島、えびの・小林、都城、高岡・田野と国盗り。

翌日は、前夜の接待で眠い中6時10分宮崎駅発延岡行きに乗車。馬鹿としかいいようがない。ボックスシートの向かい側は男子高校生。延岡までは1時間以上かかるのだか(運賃も片道1600円!)毎日通っているのだろうか。と、思っているうちに、「日向」を過ぎたあたりからずっと寝ていた男子高校生の挙動が不審になる。視線の先は日向から乗ってきたちょっとケバいミニスカートの3人組。「お疲れ」なんて言葉から、仕事の帰りだろうか、もう7時すぎなのに・・・なんて思っているうちに延岡に。

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2両編成だが、すぐに折り返すようだ。そのまま宮崎へ。

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途中の風景。結構海に近いところも通る。

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宮崎からは、特急霧島で鹿児島方面へ。なお、これで宮崎は「日南」を残すだけとなった。まあ、日南盗るためには結局また宮崎にいかなければならないのだけど。写真の列車は私が乗った「霧島」ではない。

鹿児島空港は、鹿児島市内からだと40分ぐらいかかる。途中の「国分」や「加治木」からだと20分ぐらいで、運賃も普通の市内バス程度である。乗った列車では、「加治木」からの接続がよかったので、加治木で下車。現れたバスは、「空港バス」どころか、マイクロバス級であった。住宅地を回りながら空港に行くのだが、私のほかは高校生1人と主婦1人のみであった。

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あまっていたポイントで、スーパーシートプレミアムにアップグレードできたので、珍しく機内から。御前崎あたりと思われる。担当のCAさんから「是非写真見せてください」といわれて鼻の下を伸ばす。最近「女子カメラ」がブームのようで、そのCAさんも「ルミックス」をもっていますといっていた。「ポートレートマクロ」をもっていたので、「是非試させて下さい」など言えばよかったなどと、いつも後になってから絶好球を逃していることに気づくのだった(笑)

で、3月11日(金)

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当日は、8時12分発はやぶさ1号で仙台へ。もうスタートから1週間近くたっているので、普通席なら予約が取れないということはなかった。ただ、出発前には、にわか鉄ちゃんの携帯カメラの列!まあ、私も携帯で撮ったのでその中の一人ということだろうけど。行きのはやぶさは、たまたま設定したミーティングの時間に一番便利だったからということで、特に「乗りたい!」ってことはなかったのだけど、シートの出来がよく、乗り心地もエアサスペンションのせいか、突き上げ感がすくなかったように思う。

で、仙台駅で昼食を取ったあと、盛岡へ。

地震がおきたのは、ちょうどミーティングの最中だった。参加者の一名の携帯から警戒音が鳴った次の瞬間猛烈な揺れが、これまで経験したことのない長さで続いた。銀行の本部の中なので、建物には心配がなかったのだが、この先、先方は猛烈な忙しさになることが必至であり、こちらも早いうちに寝床を確保しないと、おそらく長期戦はまちがいないだろうから。

早々に切り上げ、外に出ると信号がすべて消えていた。行くあては特になかったが、いつも利用していて、盛岡でも何回か利用したことがあるビジネスホテルチェーンが近くにあったので、とりあえず行ってみる。

ロビーでは、非常用のラジオがセットされ、毛布などの準備がされていた。「予約はないのだけど、今晩泊まれますか?」と聞くと、もう一人の同僚と2人分快諾してくれた。地震後しばらくは、電話は通じないものの、携帯のネットにはアクセスできたし、その間に会社と自宅あてにメールを送り、災害用掲示版にも書き込みできた。見てなかったらしいけど。1時間ぐらいすると急にネットにつながらなくなり、完全に情報からは遮断された。幸いホテルのラジオが聞けたからよかったが。

夜が更けるにつれ、ロビーは宿泊客でいっぱいになった。大手ホテルチェーンなので、地震後もネットの受付は稼動する一方、現場では停電のため予約者が確認できず、私のあとの直接訪問者は原則断っていたようだ。7時ごろ、ホテルのレストランからおにぎりと味噌汁の炊き出しを受ける。とてもありがたかった。この時点で、コンビニは長蛇の列でおにぎりなどはあっという間になくなったらしい。この間も大きな余震が続く。

9時ごろ、部屋に案内される。電気も通っていないし、非常用のライト1本がたよりである。でもこの状況下でちゃんとベットで休めるのはありがたい。前日からの疲労もあり、私はあっという間に眠り込んでしまった。

翌朝、寝ている間に停電が回復することを祈っていたのだが、そんなことは起きていなかった。ロビーにおりていくと、またおにぎりと味噌汁が用意してあった。ありがたくいただいた。停電は続いているけど、明るいうちはあまり恐怖感は感じない。ただ、情報から隔絶されているのがつらい。幸いクライアントの好意で、自家発電している施設で携帯を充電することができた。つながった瞬間、2日分のメールが吐き出されてきた。少しづつ状況は改善されつつあるようだ。

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買出しへ。セブンイレブンの前には長蛇の列。駅に行っても、「閉鎖」の一文字。

5時ごろホテルに戻る。気がつくと、向かいの建物に電気が!ロビーに下りた瞬間、通電して明かりがともった。その日はあきらめていた「お風呂」まで入ることができた。

3月13日(日)

そろそろ帰ることを考えなければならない。どうも新幹線の復旧には相当の時間がかかりそうだ。花巻空港は、緊急物資専用になっているし、どうしよう。ということで、周辺の空港を見ると、青森空港の青森・札幌便があさって15日なら空いている。急いで予約し、青森までたどり着く方法を考える。鉄道は走っていない、長距離バスもだめ。あとはタクシーか。しかし青森までタクシーでいったらいくらかかるのだろう、それ以前に安全にいけるのだろうか。悩んでいると、どうせタクシーでいくなら秋田空港のほうが近いとのこと。急いで秋田便を見ると、これもあさってなら秋田札幌便がある。これをおさえつつ、だめもとで翌日の羽田便のキャンセル待ちをセットする。タクシー会社に行って話を聞くと、普通なら2時間でせいぜい3万円ぐらいとのこと。これから復旧するまでの滞在費を考えると安いものなのだが、問題はカソリン不足で車が出せるかどうかわからないということ。普通なら喜んでいくんだろうけど。そのうちメールが入り、キャンセル待ちの羽田便が予約できたとのこと。伊達にANA,JALとも徳を積んでいるわけではないことを実感する。で、タクシー会社へ本気の交渉。どうにか明日8時に秋田空港までいってもらうことになった。

ということで、なんとか盛岡を離れ、戻ってくることができた。お世話になった皆様には厚くお礼申し上げるともに、亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

 

 

 


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